母子寮にはいてくる人々は、様々で、時代が時代だけに戦争未亡人の家庭が多かった。そのほか、離婚によるもの、老夫婦、共産党員までいた。母子寮は、2階建ての工場を区切り最初は20部屋くらいで、20世帯が1つ屋根の下で、共同生活をしていました。大きな台所があり、それぞれがコンロをおいて料理をして部屋で食べる、共同のトイレがあり、共同の風呂があり、皆で協力して生活をしていました。クリスマスには、みんな集まり演劇を開いたり、プレゼントがあったりして、結構楽しい、思い出が残っています。皆経済的に恵まれてはいなかったけど、一般の家庭もさほど違いなく、貧乏は苦にはならず、集団で生活していることがむしろ楽しかった。